小学生ぐらいの頃まで、お祭りの、低く轟くような太鼓の音が苦手だった。小刻みに、緩急をつけ、延々と続くリズム。側で聴いていると落ち着かず、ざわざわと、胸が震える。体幹が揺さぶられるような、日常では感じられない何かに、叫び声を上げそうになる。私はそんな、言葉にならない衝動が自分の内から湧き出ているということがとにかく怖くて、じっとしていられず、親の手を引っ張って、夜店の何かをねだりに、夜道を急いだ。親の言うことを良く聞く良い子だった私は、自制できない自分を極度に嫌っていた。今思えば、それも原因のひとつだったと分かる。
 後年、リズムにのって騒ぐ、と言うことが出来るようになって、ようやく太鼓に対する不気味さは払拭された。一時期、ライブに通い詰めた時期があって、ようやく自分のうちから湧き出るモノの処理の仕方を覚えたからだ。

 ここの所ずっと同じアーティストの楽曲ばかりを聴いている。同居人の持っているそのアーティストのCDを延々と流し続けていると、幼い時の、太鼓の音に関する記憶が蘇って来る。そして、その時に感じていたのが一体何だったのか、その本当のところが、何だか分かった気がした。
 延々と続く、緩やかで厚みがある音、繰り返されるフレーズ。徐々にボルテージが上がっていき、頭がおかしくなりそうになって、次第に曲が遠のいていく。自分の中に何かが存在し始め、それは性的な衝動に繋がろうとする。それが、凄く怖い。
 私はいつだって叫び声を上げることが出来る。跳ねるように踊り出すことが出来る。ある一点を通して全てを見ることが出来る。

 多幸感が支配するその音の洪水がライブではなくてCDでもたらされるなんて、どういったことだろうと、疑問に思いながらも、ライブを見に行ったら、私はどうなってしまうのだろう、という、興味もある。

 この一週間、私はとても幸せだ。