メタファーでもなんでもなく(とヒトコト書くと卑猥ですな)。
きのこが苦手なんです。食べられないわけではないが、これっぽっちも美味しいと思えない。だったら美味しく食べてくれる人の皿の上にぽいっとおいて、その人が満足そうな顔を見せてくれた方が良い、と思うし、そう思った上で「きのこ食べられません」とはっきりきっぱり言い、罪悪感を感じないようにきのこを回避する場面は何度かありましたよ。でもね、さすがに御馳走してくれるという方の前ではそれが出来なくてね。数年ぶりにまいたけ食べました。そりゃ鍋に入ってるのやら御飯と一緒に炊き込んであるのやら、回避するのが一苦労なものは、味わわずにのみ込んでましたけどね。カタマリは久々です。というか、この先一生喰わないつもりでおりました(調理はするだろうけど)。目の前の鉄板の上で焼かれ始めた瞬間に顔が引きつりましたよ。そりゃもうあのもさっとした具合がまず苦手なんですもの。
幸い招待してくれた方が「食べられないんだよね」と気を利かせてくださって、別の人のお皿にまいたけを移してくれましたが。や、正直まいった。
と、こんなどうしょもないオチをつけて自分は何がしたいのだ。



『上海』横光利一講談社文芸文庫ISBN:4061961454
感想が書きにくい作品です。主人公の参木は毎日、日に一度は死にたいと考える銀行員。大雑把に言ってしまえば、渾沌とした上海での共産主義の台頭を描いているわけですが、主人公のひねくれたその性格ゆえに、かえって淡々と物事は進んでいき、結局彼のまわりだけが変化して、彼自身の思想や思考は何も変わらない、という身も蓋もないお話。自分が変わっていくことを極端に嫌っているのです。参木は先のことを考えすぎて、頭を巡らせすぎて、逆に何もかもに興味を失ってしまう。何かに熱中している自分の姿を、自分が起こそうとした行動の先に読んでしまうと、急に熱を失う。死にたいと思う自分が居るのに、矛盾している。だから覚める。その繰り返しで話は進み、彼の性格に変化のないまま唐突に幕が下りる。
政治的な話がそこかしこに出てくるけれど、基礎知識が欠乏している私には上海に進出している、主にヨーロッパの各国がどのようなパワーバランスの下に中国から利益を搾取しようとしていたのか、良く理解できませんでした。けれども何故かこの作品に惹かれる。此処に描かれる上海は様々な人種が集い、それだけに活気があって渾沌とし、その風景の描写は平凡であるけれど、何故か幻想的なものすら感じる。抗日の意識が出始めついに事件が起こるに至った街(それも実に克明に書かれている)の中で生きる、無気力な日本人、参木が熱に浮かされた上海をすっと冷ましてくれる。不思議なバランスの上に立っている作品です。